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小説の書き方講座⑪「冒頭をどうするか」

小説の書き方講座、第11弾。今回からテーマを変えて、「冒頭をどうするか」。小説の書き始めをどうするかについて、考えていきます。

■賞レースに勝ち残るためのセオリーなのか?

現在、文学賞や新人賞に限らず、一般に流通しているプロの書き手の小説を見ても、冒頭から物語が展開しているものが目立ちます。この傾向は、読者の心をなるべく早くつかむことを目的としているのでしょう。つまり、先を読んでもらうための動機をつくるというわけです。

新人賞の場合でいえば、一次選考の下読みの方が、最初の10ページくらいしか読まないで善し悪しを判断する。そういった「都市伝説」があるため、冒頭から何か事件を起こさないと先を読んでもらえない、という恐れがあるためとも考えられます(この都市伝説は、まったくの伝説でもないと言われますが)。そうなると、冒頭の10ページで食いつかせるのが、賞レースを勝ち残るセオリーともいえます。ただ、個人的な見解をいえば、このことに成功しているからといって、必ずしもいい小説とは限りません。

■事件や出来事が起こるのが、小説というわけではない

純文学に限れば、事件や出来事が重要なわけではないでしょう。冒頭で殺人事件を無理やり起こしても、あまり意味がありません。魅力ある文体、おっ、と思わせる冒頭の一文があれば、少なくとも、純文学読者を惹き付けることはできるでしょう。たとえば、堀辰雄の「聖家族」の冒頭の一文。個人的には、最高な始まりだと思います。

死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。

詩的な一文であり、大変よく練られた一文といえると思います。唐突な入り方とも思えますが、ある意味で、この一文が「聖家族」の小説世界のすべてを表しているともいえます。このような一文さえあれば、読者に読み続けてもらえる動機としては十分ではないでしょうか。

かつて「最後の純文学編集者」といわれた寺田博さん(「海燕」「文藝」編集長歴任。故人)が、次のようなことをおっしゃっていました。

「最初と最後の一文が大事だけど、それ以外でも煌めく一文さえあれば、編集者はそれに気づいてくれるよ」

小説というのは、物語が重要なのではなく、作家の文体、語感が重要なのだと思いますし、「傾向と対策」で人の心を揺さぶれるものではない。そういうことのような気がします。